2020年5月31日
コロナ危機が教えたこと。
政府は危機に備えておくべきであること。
安全になったらすぐ仕事を再開すべきであること。
誰もがこの2点に同意するだろう。
だが実は、この2つは両立しない。
前者は、ふだん使わないものを余分に備えること、後者は、限界までものを利用することにつながり、真逆なのだ。
実は大恐慌を経た20世紀半ばまで、経済学者の多くは、経済に、ある種のゆるさが必要だとは考えていなかった。
政府は、諸悪の根源は、怠惰な労働者、稼働していない機械、活用していない資金にあると思っていた。
だが消防設備のように、決して使うことがないからこそ、価値があるものもあるのだ。
この話はマキャベリの時代から続く論争。
マキャベリは、怠惰は大義の逸脱であり、腐敗を招くと考えた。
そのため法による余剰の抑制を唱えた。
だがマキャベリには矛盾がある。
その一方で彼は定期的な刷新と改革の必要性を訴えたが、無駄を排すなら改革は必要ない。
無駄があるから改革が必要なのだ。
別の言い方をしてみよう。アガンベンは、都市封鎖は例外状態を作り出し、行政力の増大と法の支配の喪失を呼ぶと言った。
だが裏で進行していたのは、ホリデーのようなものでもあった。
もちろん苦しんでいる人達はいるが、そうでない人達にとって、これは一生に一度あるかないかのような機会だった。
仕事をしなくてよく、道はガラガラ、政府が給付金をくれる。
戦争や自然災害は、私達が団結し、何倍も努力するよう圧力をかけるメカニズムとして働く。
パンデミックの利点は、通常よりやらなくていいこと。
やっていたことを中断して、将来を考える時間ができた。
ブレーキが踏まれ、時間が静止中。
まるで時間の谷間に落ち込んだような不思議な感覚の時期。
これこそ千載一遇の改革の機会。
時短をするのもいいし、飛行機での移動を減らすのもいいし、政治改革をするのもいい。
可能性が突然、眼前に開けた。
この有効活用を考えるなら、たぶん都市封鎖が終わっても、全て停止したままでいることだ。
(柴田優呼@アカデミック・ジャーナリズムがツイート)
The Guardian@guardian
Coronavirus is our chance to completely rethink what the economy is for | Malcolm Bull theguardian.com/commentisfree/