2020年5月16日
1832年のコレラによるパンデミック。
世界中で被害が出たが、フランスでは特に劇的な結果をもたらした。
数週間のうちにパリで2万人、国全体で10万人以上が死亡。
当時のパリには産業革命で大量の労働者が流入。
ノートルダム寺院やテュイルリー宮殿の周辺に過密状態で居住。
そこを中心に感染が拡大。
富裕層は今と同様、いち早く郊外に脱出。
労働者との間でいがみ合いに発展。
富裕層は労働者のせいにし、労働者は富裕層が自分たちを毒殺しようとしたと主張。
やがて怒りが無能な政府に向くと、警察が陰謀論を利用。
飲料水に毒を入れたのは政府ではなく、ならず者だと言ったため、さらに騒動が拡大。
一方で政府がコレラ対策として、過食をつつしみ禁酒するよう呼びかけたため、飢餓に瀕していた労働者は激高。
さらに政府は、前年のストライキを無慈悲に弾圧した首相がコレラで病死すると、その国葬を行う一方で、同じくコレラで死亡したナポレオン戦争の英雄で、民衆に愛された将軍の国葬は拒否。
労働者たちは為政者の命令を無視し、亡くなった将軍の棺を、代々の英雄の埋葬地に担ぎ込もうとした。
これを契機に、市中のあちこちにバリケードが築かれ、革命の再現のような武力衝突が起こる事態に発展。
この様子を小説のクライマックスで描いたのが、ユーゴーの「レ・ミゼラブル」というわけ。
(柴田優呼@アカデミック・ジャーナリズムがツイート)
TIME@TIME
What we can learn from France's mishandling of a 19th century cholera outbreak ti.me/2WZSU1V